筋論~いつしか死語になりつつある日本語
「筋を通す」=「道理にかなう」人は、自然に相手から好意を持たれる。
「筋を通さない」=「道理に反する」人は、悪気があろうとなかろうと関係なく相手を不快にさせる。
「筋を通す」~いつしか死語になりつつある日本語かもしれません。
武士道のあった日本では古くから根付いた考え方であったはずですが、いつの間にか「筋の通らない」ことが横行しているように感じます。
この「筋を通す」とは、
道理にかなうようにする。物事の首尾が一貫している。
という意味ですから「筋を通さない」とは、
道理に反する。物事の首尾が一貫しないこと。
そもそも「道理」=「筋道」、「首尾一貫」=「筋が通っている」
なので具体事例がないと、左右の言葉だけでは理解しずらいですね。
後先はわかりませんが具体事例が段々なくなってきたためか、言葉が使われなくなってきたためか、消えつつある日本語であることに違いはないでしょう。
筋論~「筋を通す」生き方
では、実際の具体例から考えましょう。
具体例1
〇他人のお宅に上がる時、「お邪魔します」と了解を得てから上がります。
×他人のお宅に上がる時、何の了解も得ず上がります。
具体例2
〇他人の持ち物が欲しい時、お金で交渉し買う。
×他人の持ち物が欲しい時、騙したり暴力で盗む。
具体例3
〇他人に好意を抱き、同意を得て付き合う。
×他人に好意を抱き、無理やり突き合わせる。
具体例4
〇他人が困っている時、相談に乗り助けようとする。
×他人が困っている時、見て見ぬふりで高みの見物をする。
具体例5
〇他人からお金を借りたら、必ず返す。
×他人からお金を借りたら、催促されるまで返さない。
具体例6
〇他人と約束した事を守る。
×他人と約束した事を悉く破る。
〇は筋を通しているので、他人である相手が問題に感じることがありませんが、
×は間違いなく迷惑だったり不愉快な気持ちになります。それどころか時に犯罪となったり、縁を切られることに発展します。
上記の例から以下のように言えます。
「自分の感情に関係なく筋が通る通らないかで、相手の感情が真逆に振れる」
だから、他人(相手)を同じ人間として尊重する事が、「筋を通す」生き方といえる。
「筋を通さない」人は、他人(相手)を軽んじていることから結果的に他人(相手)から自分が軽んじられることになる。
筋論を間違えてはいけない!
組織において、「筋論」は大変重要なキーワードといえます。
組織のトップは「筋を通す」人が多いと思いますが、単純に筋道を第一義とする考え方には危険もあります。
一般に「筋論クレーマー」といわれる人がいて、通常はお互いの知恵や思いやりで解決している事柄に対しても徹底的に追及してくるようです。
筋論クレーマーには各社苦慮しており、専用の対応マニュアルまであるそうです。
また組織のトップがこうなると、社員はみんな息が詰まってしまいます。
現代は「筋を通す」人が少数派なので、論理的には理解されても感情的に受け入れ難くなっているのです。
もしも大多数が「筋を通す」人ならば、このような問題は起きないでしょう。
また知恵や思いやりで互いに解決できることに対して、わざわざ理論武装までして掘り返したところで誰も幸せになりません。
「筋を通さない」人から受けた不快な感情をただぶつけるのではなく、なぜ不快な感情になったのか?その道筋を第一義としなければいけません。
つまり”不快な感情”を相手にぶつけるのは、「筋論」ではなく「筋を通さない」人の言い訳(だって~)と同一です。
「筋論」を重視する人は、「ミイラ取りがミイラになる」ことがないように注意しなくてはいけません。
そのためには、
「相手を同じ人間として尊厳をもって軽んじない」こと以外にないでしょう。