貞観政要
『貞観政要』は、中国唐代に呉兢が編纂したとされる太宗の言行録である。
概要
唐の2代目の太宗(皇帝)である李世民の言行録である。
「貞観」は太宗在位の年号(626年~649年)
この太宗の時代は長い中国史の中でも、最も国内が安定し平和であった時代で「貞観の治」と呼ばれる。
「政要」は政治の要諦の事。
長期政権とはどうするべきか?なぜ長期政権にならないのか?ということについて書かれている。
平安時代には日本にも伝来しており、一条天皇、高倉天皇、北条政子、徳川家康、明治天皇なども御進講を受け、深い関心を寄せた。
主人公である李世民が10代のころ(隋の時代末期)隋の将軍であった父親(李淵)に対し時の皇帝(煬帝)を討つべく進言し、大活躍したことによって父親が後に唐の初代皇帝となった。
これにより李世民とその兄弟(兄と弟)はそれぞれ李世民は大将軍、兄は皇太子、弟も大出世することとなる。
しかし盤石ではない体制は対抗勢力からの侵略の危機にあった。そこで優柔不断な父親に代わりまたも李世民が出陣し活躍することになる。
兄は弟である李世民の活躍に妬み嫉妬し、もう一人の弟を巻き込み暗殺を計画するが、李世民に帰り討ちとなる。(玄武門の変)
この時29歳の李世民は父親である皇帝を幽閉し自らが皇帝となる。
ここまでが李世民が皇帝になる歴史である。しかし、このままでは李世民にとって後の黒歴史となり名を汚すことになるため、ここから考え方を改め名を上げる政策をとることになる。
ここで一番興味深い話が「諫議大夫」(かんぎたいふ)を側近に置くことによって、自らを諫める仕組みを構築した事だ。この「諫議大夫」最重要人物がなんと李世民を暗殺しようと企てた兄の参謀・魏徴(ぎちょう)なのである。
長く読み続けられる貞観政要の肝はこの部分にある。自らを諫めるため殺害を企てた者を側近に置くという非常識さが政治の要諦なのではないだろうか。
創業か守成か、いずれか難き
創業は過去の出来事であり守成こそが難事である
創業は1回の出来事に過ぎないが、それを継続することは難事中の難事である。
IMSでは創業の時から常に後継第一として進んできた。
I Make Succeedとは後継し成功させるとの意である
後継し成功させ続ける活動に終わりは無い。
成功とは事業の目的を成し遂げるということ。
自分を制する心と仲間を持つ
自分の欲望が暴走することで自分自身が破滅する。だから自分の欲望を制する心と仲間が必要である。
人は誰でも欲望があるが、自分でそれを諫めるのは大変難しい。また自分を諫める仕組みを作るのはもっと難しいことだ。
中小企業では特にありがちだが、社長が大株主で最大の実権を持つことが多い。この仕組みでいくら仲間を持っても、その意見を素直に聞けるはずがないのである。
それよりも聞かなければならない仕組みこそが最大の武器になる
だから社長が保有する株は50%以下でなければならない!
こうするしか自身を制する方法はないのである。株主こそが本当の仲間であり、「諫議大夫」なのである。
責任感と緊張感の出しどころを知っている。
国で起きる天災で苦しむ国民に対し、すべては私(李世民)の徳が足らない事によって引き起こされた事。私のせいで何の罪もない国民が苦しむことはあってはならない。
李世民が即位した当時、国民は貧しさと苦しみから、自分の子供たちを売って生活せざるを得ないような状況であった。
そこで李世民は隋王朝時代に蓄えられていた財宝をすべて売り払い、売られた子供たちをすべて買い戻し両親のもとに返したのだそうです。
これにより王朝の危機を脱し平和な時代を迎えたが、そのうち李世民の言動や行動に隙が生まれた。そこにすかさず「諫議大夫」の魏徴(ぎちょう)が李世民に対し、
「危機を脱し安泰となった時こそ気の緩みが生じ、人の忠告を聞かなくなり多くの国家は危機を迎えるのです」と諫めたのであった。
平成22年に作成されたIMS第3期事業計画には以下のようにある。
先に述べた当グループの弱点の原因は、行き着くところ長の一念にある。グループの長は会長であり、代表である。各社の計画遂行において必ず成し遂げる覚悟に欠ける理由は所詮、会長・代表の一念の欠如に起因している。
このようにして組織の意思決定をつかさどる最高責任者会議を発足し、資金繰りから計画遂行に至るまでを責任者自らが率先垂範し、後に危機を脱し計画が遂行されました。
多少の安定期を迎えた時、ある事件が起こります。
ある取締役の不手際により久しぶりの未回収金が発生しました。その時初代総代がとった行動はその取締役に金銭的な責任を取らせようとしたのです。
そこにある株主から、「取締役一人に責任を押し付けるなんて、しょぼいですね」と諫められます。
素直に聞き入れずらかったのではありますが初代総代は、すべて自分の責任においてこの未回収金を自ら全額回収することになります。
無事回収完了後、初代総代は「しょぼい」と言ってくれた株主に対し心から感謝することになります。
起るべき危機は人を信用し奢ることから生じる
聞く力
優れたリーダーは兼聴であり愚かなリーダーは偏信である
兼聴:広く聞き、歴史や古典から学ぶ。
偏信:自分の気に入った人からの意見しか信用しない。
これは李世民の「優れたリーダーと愚かなリーダーの違いは何か」との質問に対する、「諫議大夫」の魏徴(ぎちょう)による回答です。
隋の皇帝(煬帝)の参謀であった魏徴(ぎちょう)は偏信であった。との事例を引き合いに出し説明されています。
IMSグループでは初代総代自ら「UnderCover」という活動を行っています。それは夢や希望を持つグループ内の社員一人一人から、プライバシーに関わることも含め何もかも本人から話を聞くという活動です。
こういった活動の結果から、現在の社長や役員・またはリーダーたちが誕生しました。
人財育成に最も重要なことはリーダーシップに必要な「聞く力」なのです。
李世民流マネジメント3原則
1.歴史から学べ!2.実力のある者と働け!
3.噂・陰口は聞き流せ!
歴史から学び事前に失敗を回避し、好きか嫌いではなく実力のある者の意見を聞き、風の噂は完全に無視するということ。
昔、初代総代はどこまで本当なのか定かではない”歴史の勉強”が嫌いでならなかった。そして他人をバカにし続けていた。そのせいか唯一他人の絵空事は耳に入ることはなかったが思い込みの激しい人間であった。
だからその後、人生の大きな失敗を経験することになる。マネジメント能力”0”だったのだから当然といえる。
しかしこの自身の失敗談が大切な歴史となって、現在のIMSが誕生したのである。
人生何が縁となって転換するのかは誰にもわからないが、すべての失敗は後に必ず成功の肥やしとなる。
3つの鏡を持っている
銅を鏡とする。歴史を鏡とする。
人を鏡とする。
銅を鏡とすれば映し出される自分を見て身だしなみを整えることができる。
歴史を鏡とすれば過去を見て世の中の栄枯盛衰を深く知ることができる。
人を鏡とすればその人の言葉を聞き姿を見ることで物事の善悪について判断ができる。
「この3つの鏡をもって李世民自身は過ちを防いできたのだ」
と、この瞬間涙に声を震わせながら以下のように続く。
「この3つの鏡の中で最も大切にしていた一枚を私は失った」
「誰よりも私を諫め正してくれた漢、魏徴(ぎちょう)はこの世を去った」
「魏徴亡き今、ここにいる重臣各自が私の鏡となってくれることを願う」
己を知るということがいかに難しいことなのかが述べられています。
魏徴は生前自らの人生について以下のように表現しています。
「同じ志、同じ夢を持った人と出会い心を通わせることができた」
「これこそ我が人生。金も名誉もとるに足らない」
IMSは自らの姿を鏡に映し、自らの歴史を記録し、自らの仲間を鏡として発展してきました。