黎明~第1の伝説
創業の時(平成19年12月3日)過去の失敗事例を一掃するべく制度改革のもと、同志と勇気を奮い起こし代表任期10年で10億達成と後継の構想を宣言し、黎明(夜明け)を迎えた。
2007年 |
平成19年 | 同志と共にに勇気を奮い起し「株式会社IMS」が設立。餓鬼道を徹底的に排除し、将来起こりえる後継者の問題や金銭に係わる醜い争いを一掃するため、※同率複数株主制度をとった。 |
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2008年 |
平成20年 | 警備業の認定を取得し、いよいよ営業開始。この時、社員わずか4名。 |
※同率複数株主制度・・・6名の株主が均等に株式数を保有。
黎明~第2の伝説
翌年の8月には㈱CTUを発足し、その翌月にはリーマンショックが発生し、いきなり300万円の貸倒れ損失を受ける中、即座に損失を利益に転じ年商1億ベースを達成し、早速追加融資を受け節税対策に取り組む。
2008年 |
平成20年 | 室井貴志を代表とする㈱CTUを北千住に発足。グループ内の「人材の泉」を目指し教育・指導に重点を置く会社として設立。 |
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9月15日 | リーマン・ショック:アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻 | |
9月22日 | ㈱IMS内にYMC(分社準備組織)を置き、将来の子会社を準備する。すでにリーマンショックが起き影響が出始める。 | |
11月末 | なんとか㈱IMSの初年度決算を無事に迎えることができた。総売上高7千万円弱となり初年度としては上々の出来であった。しかし、損益内容は散々たるもので取引先三社の倒産による貸倒損失総額は300万円にものぼった。 | |
12月末 | ㈱IMSは初めての資金ショートを経験し、平成21年1月末、初の追加融資を受ける。 | |
2009年 |
平成21年 | ㈱IMSの第2期事業計画を作成し節税対策として※役員保険に加入し、同年2月より伊藤眞恵会長の役員報酬を発生することができた。 |
※役員保険・・・㈱IMS篠田代表取締役の死亡保険として1億円に加入。
黎明~第3の伝説
資金難の中、㈱伊田電通と㈱CTUを子会社化したうえ保養所まで購入し、㈱伊田電通の再起復活のため資金調達目的の㈱IDNを同所に発足。
2009年 |
平成21年 | ㈱伊田電通(現㈱アイデン)と㈱CTUの株式を㈱IMSがすべて買収し、名実ともにIMSグループとなった。 |
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4月24日 | この月から開始した常駐警備を機に、初のIMSグループ福利厚生資産として富津市に300坪の土地を購入。 | |
8月1日 | IMSグループ初になる大型イベントとして、㈱CTUが中心になり草加花火大会(総員130名)警備を成功させる。 | |
10月1日 | ㈱伊田電通(現 ㈱アイデン)の株式買収後、平成21年4月1日より半期に渡り業務改善を推進したが資金ショートで倒産の危機にあった。再起復活の最終手段として同所に榎本恒を代表とする㈱IDN(現 ㈱アスタリスク)を㈱伊田電通の下請け会社として発足。 |
黎明~第4の伝説
創業から2年でようやく同率株主6名による制度を確立させ、各社の業績改善に翻弄。
11月25日 | ㈱IMSの本株主6名が均等に株式を保有する調整を、創業から2年の歳月を費やしやっとのこと完結した。同時に※名義株の配分も完結した。 | |
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2010年 |
平成22年 |
㈱IMSとYMC(分社準備組織)の業績低迷の対策として、正式に伊東眞恵会長が両者の業務改善責任の指揮に当たる。 |
7月末日 | ㈱CTUが第2期の決算を迎え、創業時からの赤字を完全に解消する。いよいよ本来のコンセプト(人材の泉)を実現するスタートの準備ができた。 |
※名義株・・・本株主以外の社員有志が、会社継続のために資金提供していただいた。
黎明~第5の伝説
各子会社の赤字が解消される中、またもや400万円を超える貸倒れ事案が発生し最大の試練を迎えるが、3年で実質総売上高3億を突破し逆境を因とし心の成長を果とすることができた。
2010年 |
平成22年 | ㈱伊田電通(現 ㈱アイデン)と㈱IDN(現 ㈱アスタリスク)の第1期の決算はほぼ損失ない結果であったが、またもや400万円を超える貸倒損失が発生する。グループとして総額700万円を超える貸倒損失を受けたことになり、我がグループにとって共通かつ最大の試練を迎える。 |
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11月 | ㈱CTUが創業初の月商1000万円越えを達成。人材育成に向け本格的に稼働する。 | |
12月末日 |
お世話になったご来賓も迎え、塔ノ沢においてグループの3周年記念を晴れやかに開催。 |
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2011年 |
平成23年 |
秋葉原の歩行者天国再開に伴い㈱伊田電通(現 ㈱アイデン)がこの担当警備を受注。(その後NHK様の警備依頼も受注) |
3月 |
2010年度(平成22年度)のグループ実績(日割り)売上高3億3781万円 |
飛躍~第6の伝説
こうして発足直後の危機を乗り越え、「人財主義」を掲げ飛躍の時へと向かう。
㈱SCSを発足し、IMSグループ総務本部を新設し各委員会を設置、仙台と津田沼と赤羽に営業所を設ける。
2011年 |
平成23年 | 千葉市若葉区都賀に第5番目の子会社㈱SCSを開業。創業者以外の人財で初の経営者が誕生。グループを上げての支援が開始。 |
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12月末 | ㈱IMSも早5年目を迎え、2011年のグループ総売上高が4億円を突破!さあいよいよ大航海の始まりだ! | |
2012年 |
平成24年 | 2011年度(平成23年度)のグループ実績(日割り)売上高4億3963万円 |
4月 | IMSグループの※総務本部を新設。当面錦糸町北口(カーサ錦糸町)に本部を置く。 | |
6月 | 仙台市に㈱SCS 仙台営業所を設置。榎本取締役を筆頭に精鋭メンバーが乗り込み復興支援開始。 | |
8月 | ※総務本部移転(レジデンス) | |
11月 | 事業計画通りIMSグループ5期の日割り総売上高が5億を超え、最重要課題である「資金備蓄と人財育成」を推進させるため委員会構想を実行。 | |
12月 | 12月7日~9日・IMSグループ5周年記念社員慰安旅行(仙台作並温泉)を総務本部企画で実施。 | |
2012年 |
平成25年 | 後継者育成の本格化として人間力強化・報奨決定・損益管理の3委員会を発足させ、伊藤・室井・益田3名の委員長を指名。榎本は現在仙台を遂行中の為4月を目安に帰京させ事業推進委員会を担当させる。 |
2月 | 独立希望者である大木太一の育成計画を決定。IMSの新役員となる益田の部下に置き、一社員から営業所の出店・そして独立へ向かうシナリオを描く。 | |
9月 | 津田沼に営業所を設置した大木太一が、3か月で31人の新規採用という快挙を成し遂げた。 | |
11月 | 11月25日時点でグループの実質売上が6億を超える。役員会から経営執行会議へと呼称変更。 |
※総務本部・・・この時6畳ワンルームの部屋で開設し、後に70㎡のマンション13階に移転。
伝説~第7の伝説
そして7年目「伝説の年」と銘打ち、㈱IDNを㈱アスタリスクに社名変更し東陽町に移転し、津田沼営業所を㈱SATへ分社、新宿営業所を設け、新小岩に準備室を置き、実質総売上高8億を突破した。
IMSグループ第7の伝説とは、グループ全社がそろって初の黒字経営となり、当初の計画から先送りしてきた多額の法人納税を決断し、ようやく資本金増資(900万円→1550万円)が実現できたことである。
2013年 |
平成25年 | 秋葉原からIDNを分離指示。IDNからアスタリスクへ社名変更し、東陽町に新事務所を構え再スタートする。 |
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2014年 |
平成26年 |
「飛躍」の年から「伝説」の年と断言。 |
5月 | 第10期株主総会に向けて後継者へ伝承するための後継書を作成開始する。これは経営理念(創業精神)を継承するためにIMSが存在することを理論立てて推敲し、それに必要な前提条件と必須条件をまとめたものである。 | |
7月 | 11~12日1泊2日のスケジュールで長野県蓼科フォーラムにてSPSS(篠田塾)を開催。後継者に後継書を託す。 | |
8月27日 | 資本金900万円から1550万円に増資。 | |
9月 | 臨時株主総会を開催し、SATの分社実績とグループへの貢献を認め、大木太一をIMSの新役員に選任。 | |
2015年 |
平成27年 | 名義株から私募債への移動。全役員報酬の増額。師道共育委員会の発足。全社員への※年功慰労金支払いを決定。 |
5月 | ㈱SCSの松戸事業所として物件決定。 |
※執行会議・・・㈱IMSでは取締役会を設置していないため、取締役会の代わりに経営執行会議と命名。
※年功慰労金・・・これまでの7年間を活躍してくれた全従業員に対して、感謝の意を表し慰労金を支払った。
伝説~第8の伝説
赤羽営業所分社、そしてついにグループ実質総売上高10億を達成
2015年 |
平成27年 | 三浦政人率いる赤羽営業所が分社し、株式会社CPAが設立 |
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7月 | 経営執行会議にて㈱CPUの構想発表。後に※プロジェクトΔで創業計画を立てる。 | |
10月21日 | IMSにとって正式にM&A(※海邦ジャパン)成立。 | |
11月11日 | アスタリスクとアイデンの経営不振が改善されず、好業績のCSIを含めた3社を合併し㈱CPUを設立。 | |
2016年 |
平成28年 | 独立希望者の吉岡忠と面談。 |
4月27日 |
伊藤義富の指揮のもと、仙台営業所が初めて4月売上500万円を達成。 |
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5月 | 吉岡忠率いるCPU横浜営業所の事務所開き。来年には㈱イージスとして独立分社する。 |
※プロジェクトΔ・・・分社独立に関する一切の検討を行う委員会。
※海邦ジャパン・・・後に代表取締役が逃走し顧客は奪取され、㈱IMSは負債だけを抱えることになる。やはり警備会社の社長は盗人が多い。
伝説~第9の伝説
松戸、横浜、仙台、すべての営業所が分社。
2016年 |
平成28年 | 吉岡忠率いる株式会社イージス設立(CPU横浜営業所から分社) |
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7月27日 | 佐々木康率いる株式会社三融警備設立(SCS松戸営業所から分社) | |
10月 | 佐々木康社長が脳卒中で緊急搬送※。回復に相応の時間がかかることから益田兼次が社長兼任。 | |
11月21日 | 針生徹率いる株式会社Eガードが設立(SCS仙台営業所から分社) |
※我々の宝友である佐々木康はこの後、奇跡的な回復を見せたが言語と記憶に障害が残ってしまった。一人での生活は不可能であり、2019年現在も介護付き施設に居住中。
⇒書初め⇒
不幸中の幸いといえば、脳卒中で倒れる数日前に偶然㈱三融警備契約の役員保険に加入していたこと。そのおかげで金銭的問題だけは負担が減少した。
佐々木の部下であった田中と端本はあれから一回りも二回りも成長し、分社に向け奮闘中。
私たちは永遠の仲間であり、今後も彼の復活を願い共に寄り添っていきます。
後継~第10の伝説
幾多の試練を乗り越え、多数の経営者を輩出し、数々の伝説が誕生した。
ついに創業10年目を迎え約束を果たし初志貫徹する時が来た。
その約束は「後継」であり、第10の伝説となるべきものである。
2017年 |
平成29年 | 「後継の年」である第10期事業計画書を発表。 |
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2月21日 | 第9期株主総会に初めてIMSのメインバンクである、みずほ銀行錦糸町支店の支店長を御来賓として迎え開催。 | |
8月 | 経営執行会議で次期総代候補4名の所信表明演説を行い不惜身命を誓う。 | |
11月 | 書籍「宝友」完成。 | |
12月 | 第11期スタート2日前12月1日(金)、11日間のコンクラーベにより二代目総代が榎本恒に決定。 | |
2018年 |
平成30年 |
株主総会にて篠田龍希は初代総代を辞任し初代会頭に就任する。 |
これまで「絶対的幸福」を得るための夢や希望を実現する数々の手法を事業計画に盛り込み遂行してきたが、それまでの手法とは比べようのない究極の手法が「後継」である。
IMSグループにこの「後継」の流れが脈々と受け継がれることによってのみ、事業目的は完結し、仲間を大切にできる人格者となっていくのだ。
今この時、IMSグループ初となる本当の「後継」を実現できたことで未来永劫、夢や希望が実現する奇跡が起こり続けるに違いない。