IMS初代総代 現会頭 篠田 龍希(しのだ りゅうき)
横浜の上大岡で誕生し、物心がついたころには大阪の千里丘や服部にて小学時代まで過ごし、中学1年の夏から高校卒業までを山口県の下関で送りました。
父親の転勤とともに引っ越しの多い少年時代でしたが、おかげで生活や方言の違いなど環境変化に適応する能力が備わったと思います。
また良いか悪いかわかりませんが、大阪でのお金に対する執着心、山口での変化に対する楽観性と自立心が身についたように感じます。
山口県立下関工業高校を卒業後、お金をかけて進学するよりもお金を稼ぎながら(当時新入社員と同じ給料だった)勉強できる東芝学園を選択し、すごく儲かった気分になり満足であったことを覚えています。入学してからそこが「虎の穴」だったのは予想外でしたが。
その後東芝での配属が府中の事業所に決まり、そこの同僚や先輩に ”東芝の社長にどうすればなれる?” と尋ねたところ最初から”無理”と一笑される始末でしたが、そんな中にも土光敏夫さんの話をしてくださった先輩がおられました。
この頃から ”まずは何でもいいから社長になりたい” という思いが強まり、技術だけではなく営業や経理や経営を学ぶ必要性を感じ始めました。
東芝に入社して7年後、ゼロから学ぶため東芝を辞め一旦山口の実家へと戻り、車のセールスや同級生の経営者のもとで職人を扱う業務を経験しながら、何とかビデオレンタル業として有限会社ベストライフサービスの起業(後に父親が定年退職後に面倒を見る)をはたし社長となりました。
その後もノベリティ商品を開発販売する株式会社ジックを起業したのです。
しかし何のために社長をやるのか特別な理由(目的)がなく、ただチャンスに飛びつきひたすら金儲けに走るという典型的な悪循環に陥ったのです。
結末は誰もが察する通り、目標を見失い、価値観を感じられず、そこにバブル崩壊が重なり、ハイ終了~
気が付けば自分は東京の小岩(当時小岩に㈱ジックの営業所を置いていた)に取り残され帰るにも帰れず行くにも行けず、ついにドツボにはまっていました。
放心状態の中、東京での仕事仲間に誘われるまま警備員の面接を受けることになり、その仲間に頼まれてお金を貸したらトンズラされ、呆然としながら道路で交通誘導をしていました。小雪の降る中、終電に間に合わず秋葉原駅の周辺で段ボールを身にまとい始発電車を待つありさま。
あ~落ちるとこまでで落ちたな~ なぜかここまでの人生を笑ってしまう自分がそこにいました。(環境に適応したのでしょうか?)
そこに山口から突然、家族が心配して上京してきたのです。嫁と小学生の子供3人とで、わずか6畳一間のワンルーム生活が始まったのです。
もう哀愁に浸っている暇はなくなり、とにもかくにも生活する必要に迫られ昼夜を問わず警備員の仕事に没頭しました。
こうして2社の起業後、人生の挫折を経験しましたが、同時に大切なものが必要であることを経験できました。(やはり愚者は経験から学ぶのでしょうか)
何の因果か警備業界に流れ着いたのち、警備員から始めて営業・管制・経理・支店長・各社取締役を経験しながら、大切なものである「何のために」という課題に思慮を巡らせる日々が続くのです。
経験による感覚的なものでは感じていても、文字や言葉にすると明確な答えを見つけられないものです。
その後私は人生の意味を勉強をすることにしました。「何のために」→生まれたのか?人生があるのか?社会が存在し地球・宇宙が存在するのか?
たぶん十代の時に東芝学園という虎の穴で勉強した経験が幸いし、勉強することに何の抵抗もなく答えを求め続けたのです。
これまでは技術や理論を猛勉強し、答えを見つけてきましたが、人生の意味を見出すことのできる学問はなく、簡単に答えを見つけることなどできませんでした。
しかし人生には不思議なことが時に起きるものです。気が付けば大事なものはすべて身の回りに揃っているではないですか。
良き家族、良き師・良き友に巡り合ったことこそ何物にも替えがたい宝であることを。
こうして、ようやく自身の人生の意味と目的と役割を心の底から理解することができたのです。
もう二度と社長をやってはいけない、自分には向いてないと思い込んでいましたが、再び社長として挑戦を始めたのは良き友が必要としたからにほかなりません。
そして株式会社IMSを設立したのは、「何のために」という明確な目的を持つ友がいたからなのです。
共に学び、励まし、喜びも悲しみも、苦難も楽しみも、分かち合う友がいてこそ、絶対的幸福な人生なのです。
~略経歴~
昭和55年 山口県立下関工業高校(電気課)卒
同年 東芝学園(コンピュータースクール)入学
昭和56年 東京芝浦電気(現東芝)府中工場電力変換装置部配属(太陽光・風力・燃料電池等、新エネルギー開発担当)
平成3年 有限会社ベストライフサービス設立(レンタル業)
平成5年 株式会社ジック設立(環境・開発)
平成7年 警備会社に入社
平成19年 現在の株式会社IMS設立
平成24年 IMSの子会社6社すべて年商1億超達成
平成26年 IMSグループ10億超達成
平成29年 IMS総代を後継し辞任。会頭に就任。