「人の立場で考える」ことの難しさ
あなたは尊敬する人は居ますか?自分にはなかなかそのような人は現れませんでした。「あなたを尊敬しています!」そんなセリフを口にしたことはあっても、どこか本心ではなかった様に思います。それはなぜか?私の周りに尊敬に値する人が居なかったからでしょうか?私自身が傲岸不遜で、そもそも人を尊敬できないからでしょうか?人を本心から尊敬することのない自分を、なにか悪い事のように感じたこともなく、当然のように生きてきました。物事を観察する力や、共感力・感受性がとても弱いんだなぁ、と今は思います。平成21年に、生まれて初めて自分が代表者となり経営を任された会社は、赤字が続き、現在活動を停止してほぼ休眠状態にあります。そんな事になったのは、当たり前ですが、すべて自分の思い上がりと、思慮の至らなさからなのです。当時、親会社にあたるIMSは、決して資金豊富で余裕があるとは言えない状況下にあり、私の運営する会社が足を引っ張っていたのは紛れもない事実でした。そうして自分が初めて社長を務めた会社は失敗に終わりました。それはなかなか認めることの出来ない事実です。
それでもグループの仲間に助けられ、自分は今もこの場所で報恩の機会を与えられています。人の親になれば、親の気持ちがわかるようになるとはよく聞きますが、自分には子供がおらず、その言葉の実感が無いように思っていました。しかし大きな失敗をした自分がグループの全体の責任者となり、その中にはうまくいく人もそうでない人も居る中で、自分の置かれた環境は親子のたとえと何ら変わりがないことに気が付いていないだけだったのです。そのことを気づかせてくれた人は、今の自分と同じ立場に在るときに、途方もなく大きな慈悲の心で私を導いてくれていたと、今は思えます。私のように鈍感な人間には、その人と同じ立場になってもなかなかその時の気持ちをうかがい知ることが出来ませんでした。恥ずかしいことではありますが、このことを忘れないためにここに記録することにします。いつも人の立場で考えることが出来て、共感力の高い人にとっては無縁のことかもしれませんが、常に自分の立場でばかり考えていた私のような人間にとって、その人と同じ立場に立ったときが成長の大きなチャンスだったのです。