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意味を見出す意義

人生が長くなればなるほど、いろいろな事を経験する。
非常にラッキーな事があったり、時に災難に見舞われることもある。

 

たまたま起きた出来事なのか?ただラッキー・アンラッキーだったのか?
いずれにせよ、一つ一つの出来事に意味を見出す事が出来なければ、人生はむなしい。

 

毎日が意味の無い事だと感じる人は、生きている意味すら失う。
何とも刹那的な生き方になってしまう。

実は学習障害だった

私の場合も最初から、すべての意味を見出して生きてきたわけではない。
「何でこうなるんだ!」「おかしい!」「あり得ない!」などと思う事ばかりだった。

 

今になると、すべてに意味があったことがわかる。
何の趣味もなかった中学の頃に、友人とのきっかけで突如、電気の不思議に目覚めた。

 

その後、電気を理解するための勉強以外、まったく興味が無くなった。
現在では、これを”学習障害”というらしい。
(甥っ子がこの障害と診断されて、俺も同じだと気が付かされた)

 

当時はそんな言葉もなかったので、障害者扱いはされなかったが、興味のない科目はすべて0点を取ったこともある。(㊟自慢ではありません)

そこには大事な意味があった

そもそも何で電気に興味を持ったのか?
実は”増幅”という言葉に魅かれたことが後に分かった。

 

”増幅”=”増える”=””金が増える”=”儲かる”
当時は、無から有が生まれると思い込んでいた。(相当バカ?)

 

これがきっかけで東芝に入社したわけだが、プロの世界で直ぐにその謎に気が付く。
金が増えるわけではない事を。😢

 

幸い、電気の部品に異常な興味を示し、しばらく続く。
しかし、7年で電気が見えるようになり(?)飽きてしまい東芝を辞める。

 

ここまでのところでは、いったい何の意味があったのかはまったくわからん。

10年後にすべてがわかる

それから儲かりそうな仕事を転々とするが、大して興味が持てず、遂には警備員に。
夢も希望も(金儲けだけだが)失い、世捨て人になろうとしていた時、警備員の先輩から昼食の余り(パン)を分け与えて頂いたことがある。

 

まるで最後の晩餐のようだが、この時脳みそに強烈な衝撃が走った。
「人間捨てたもんじゃないな」「こんな人間がいるんだ?」「人間って面白いのかも?」

 

これをきっかけに突如、人間の不思議に目覚めた。
その後、人間を理解するための勉強以外、まったく興味が無くなった。

 

現在では、人間を研究対象としてプロの世界で生きているが、未だに奥が深く興味が薄れることは無い。
やっと人生をかけての課題に巡り合ったのだ。

すべてに意味がある

ラッキー・アンラッキーを繰り返すだけの半生だったが、遂に人生の意味に目覚めた。
無駄なことなど何一つなかったことを。

 

挫折すらも人間を理解するための重要な経験なのだ。
元々の目標ではなかったが、ついでに”儲かる”のオマケ付きなのだ。

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