世界は五分前に始まった⁈
世界五分前仮説とは、「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説。
世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。
異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。
したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。
そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである
— ラッセル "The Analysis of Mind" (1971)
世界五分前仮説はおおよそ正しい
常に「五分前」という時間が存在する定義によってすべての事象が固定される。
それは「五分後」という時間が経過した我々観測者によって事象が固定される。
では時間が存在しなければ、
事象は固定された状態から変化しないので新たな事象の固定はない。
ゆえに我々は観測者ではないので自我意識は存在しない。
「五分後」という時間が存在するならば、事象の固定は連続することになるので5分前の事象は無限に存在する。
ゆえに我々は観測者となり自我意識が存在する。
したがって、我々に自我意識がある限り、観測者となって時間が存在し、世界五分前仮説はおおよそ正しいが、無限に連続し時間が経過しなければならない。
ならば「五分前」にこだわる必要はない。
だから無限
世界五分前仮説を否定することは出来ない。
しかし我々には自我意識と言う記憶が存在する。
五分前でも一秒前でも良いが、その間の記憶が存在する。
という事は、その間の時間が無限に連続して存在する必要がある。
端的に言うと、「五分前」が連続して無限という事。
どこでリセットされようと、永遠に連続するという事。
極論は、記憶が有るか無いかに関係なく、繰り返し連続し世界は五分前に始まっている。
つまり始まりも終わりも無い、”無始無終”を証明する一つの仮説になりうる。