人間の評価とは?
そもそも人間の評価とは、一体何を言っているのでしょうか?
血統、財産、所得、能力、才能、業績、学歴や学校歴、職業、年齢、地位、性別、人種、民族、ナショナリティ、出身地、居住地、性格、美しさ、ルックス、3サイズ、身長、体重、声、臭いや香り、味、健康状態、趣味
上記のように、上げればキリがないほどの評価項目が存在するでしょう。
例えば”体重”一つをとっても、軽いほうが良いのでしょうか?それとも重いほうが良いのでしょうか?一体何が基準になるのでしょうか?
評価基準は環境によって決まる
人間であれ物であれ評価基準は、その人や物が置かれる環境によって変化します。
例えば相撲という環境下では”体重”の項目が当然、軽いよりも重いほうに評価が高くなるでしょう。
しかし”モデル”という環境下では、重いよりも軽いほうが評価が高くなるでしょう。
つまり同じ項目であっても、環境によって評価基準は真逆になるのです。
いったい誰が評価するのか
その環境下で評価するのは、自分自身であったり審査員であったり、はたまた他人であったりします。
でも評価する人がだれであっても、意見がわかれようとも、何か意味があるのでしょうか?
何もないですね。他人の評価が低くとも、自分自身の評価が高ければそれで良い訳だし、審査員の評価が高くとも、自分自身の評価が低い場合だってあります。
前者の事を自己満足と言い、後者の事をコンプレックスと言いうのでしょう。
唯一、すべての人の評価が高いか低いかの場合のみ、評価が成立するのです。
すべての人の評価が一致する事はあるのか
評価する人が多数であればあるほど、そんな事(一致する事)あり得ませんね。
それぞれの環境や趣味嗜好や思いによって、いくらでもわかれ変化します。
だから人間の評価とは、評価したい者が評価すれば良いのです。
自分の評価もしたければすれば良いのです。
だから人間を評価するという事は、そもそも成立しないのです。
自分を信じ突き進め!
どうせ人は自分を高く評価してくれる人のもとに集まるし、低評価の人を避けるようになります。
ならば自分を信じ、前に進み行動すべきです。
その結果、誰からも評価されなければ進路変更すれば良いし、多数から評価されればそのまま突き進めば良いのです。
という事は結論として、自分の評価は他人が決めるという事なのです。
そのためにまずは前に進み行動しなければ、他人の評価について何も理解できません。
人間として最も避けるべきは、他人の評価を恐れ行動しない事なのです。