お盆と言う行事
我々の宇宙では、永遠に存在する物質はありません。
だから”人”と言う物質も、必ず崩壊します。
それを、”死”と定義しているだけの事です。
誰もが知っていることですね。
この世に生まれた瞬間から、死ぬことが決まっている。
こんな事を思い出させてくれるのが日本古来の”お盆”ですね。
絶対に起きる事への備え
日本に住んでいると、地震・台風・津波など絶対に起きる自然現象をたくさん経験します。だからその現象に対する備えは当然必要な事です。
ただ最近は、その備えが軽んじられているようでなりません。
地震はいつどこで起きるかわからないので、建物に耐震基準が設けられています。
しかし水害は、毎度同じような地域で発生するのに、その対策は貧弱と言わざるを得ません。にもかかわらず、いつの間にかそんな地域に家が建ったりします。
絶対に起きる現象への備えを、今一度見直すきっかけが”お盆”の機会でしょう。
”死”への備え
普段はあまり考えたくない事が”死”なのかもしれません。
しかし絶対に起きる現象なので、”お盆”の機会に今一度備えを見直したいものです。
死んだらどうなるのかはわかりませんが、その時生きている人に最低限迷惑が掛からないようにすることが”人”としての備えではないでしょうか。
まずは”お墓”です。
最近は散骨なども増え、安い費用で済ませる事が出来るようになりました。
いずれにせよ残った人に迷惑が無いよう「費用はどうするのか」、「墓なのか散骨なのか」ぐらいは決めておく必要がありますね。
お墓の問題点
「本家のお墓があるから大丈夫」
と、思っている人が多かれ少なかれいます。
しかし田舎では一周忌・三回忌・・・・と、墓に入っている人が多ければ多いほど、毎年のようにお坊さんを呼んで供養してもらいます。
その度に、必ず多額の費用が掛かるのです。
さすがに本家としては、直系の家族以外を墓に入れたくは無いのです。
なので十三回忌分の供養代を事前に支払えば、入れてくれるかもしれません。
また自分で墓をつくったとしても、墓守が居なければ速墓仕舞いになってしまいます。
そんな時は、永代供養のお墓がお勧めです。
いずれにせよ「備えあれば患いなし」です。
ちなみに私の場合は特殊かもしれませんが、19歳の時に永代供養の墓を買いました。
それから40年たった現在も、墓は空っぽですが。(笑)