『人材』から『人財』へ
『人材』と『人財』の違い
IMSグループにおいては、個々の才能や能力が開花していない人を『人材』といい、開花している人を『人財』という。
才能や能力は例外なく誰しにも備わっており、これを”自己中心的利他”によって活用されていることを”開花”という。
丸とか四角、長いとか短い、重いとか軽いなどの特徴しか理解できない状態は、ただの『人材』である。
先天的であれ後天的であれ、その人にしかない才能や能力を他人のために活用できる状態が、『人財』である。
『人財』となるために最も重要なこと
どうすれば『人財』となれるのか?
自らが気が付いてなる場合と、師匠から見出されてなる場合があるが、いずれも共通して”大切な仲間”がいなければ絶対に『人財』とはなれない。
それは何故なのか?”才能や能力を他人のために活用できる状態”が『人財』であるから、自分以外の他人が絶対必要条件になります。
無人島で自身の才能に目覚めても、誰の役にも立てません。だから他人が必要なのですが、全く知らない人のために才能を活用することは、相当レベルが高い人格者でならなければできません。
まずは”大切な仲間”のために活用できるのか、試す必要があります。上手くいかなくても”大切な仲間”は暖かく励ましてくれます。
だから”大切な仲間”が必要なのです。”大切な仲間”を持たない人は『人財』にはなれません。
それどころか、せっかくの才能や能力も自己中心的な活用では、かえって他人の迷惑となり、誰からも必要とされない『人罪』となってしまいます。
『人財』ある所に『人材』集まる
『人財』が育成されている所には、『人材』が集まります。そしてその『人材』達も『人財』となるべく成長するのです。
『人材』は『人財』によって触発され成長し、『人財』は『人材』を”大切な仲間”とすることで人格者へと成長するのです。
『人材』と『人財』は互いに切磋琢磨し、”大切な仲間”であるがゆえに未来を切り開いていくのです。
結局、『人財』を育成するという事は、未来を育成しているということなのです。
『人罪』も『人財』である
『人罪』も『人財』?そんなはずがない!と思われるでしょうが、事実です。
私の周りにはたくさんの『人罪』がいました。というより私自身が『人罪』でもありました。
故に苦痛と苦悩の人生であったのです。
何もかもうまくいかなくなり、最後は自己嫌悪に陥り、自死すら考えることになってしまうのです。
しかしそのおかげで、自身を本気で見つめなおす機会が生じ、自らの才能と能力の活用に気付く事が出来たのです。
周りにいるたくさんの『人罪』が自身の反面教師となり、「なるほど。このように才能を使うから、他人を不幸にするのだ」というように。
ならば「自身の得にならないように、自身の才能を使えばどうなるのか?」と考え実践するうちに、いつしか自身が『人財』へと成長する軌道に乗ったのです。
すべては、”大切な仲間”を欲する一念から始まり、その仲間たちに触発され劇的に軌道修正する事が出来たのです。
深い意味では『人罪』もまた『人財』であるのです。