徳のある人格とは
多くの事業家は、自らの才覚と能力に頼る。しかし、それでは一時的に成功したとしても、自分自身の才覚におぼれ、事業が長続きしない。
事業を成功させ続けるためには、心を高め、徳のある人格を築き上げていかなくてはならない。
~ 稲盛和夫 ~
人格の向上とは言っても、何をどうすれば良いのかについて明確な答えを持っている人は少ない。徳のある人格とは言っても、知識が豊富で賢い・偉いということを言っているのではない。
徳のある人格とは、すなわち価値のある人格という事である。
人としての価値は、その行動(振舞い)によってのみ現れる。
究極の三大価値
1.利他 (主・智信・信仰)
「自己犠牲」のこと。対義語では自利、利己(主義)という。自己の損失を顧みずに他者の利益を図ることである。
2.報恩 (師・礼・希望)
「恩に報いる」ということ。地球上のすべての生物において人間だけが恩に報いることができる。つまり人間と畜生の決定的な違いといえよう。
3.慈悲 (親・仁義・愛)
「いつくしみあわれむ」ということ。他者の苦しみを抜いて福楽を与える「抜苦与楽」という意味である。
この三大価値を磨くことを、人格の向上と言うのである。
なぜならば、利他・報恩・慈悲の無い人は人ではなくただの畜生であるからだ。
「慈悲」を磨くことの難しさ
三大価値の中で最も難しい価値は「慈悲」である。
利他と報恩は、その行動を間違えることは無いが、「慈悲」は誤った行動になり易い。
「慈悲」=「いつくしみあわれむ」を誤解して解釈すると、「あわれむ」事だけが突出し結果的に人をバカにする行動になってしまう。
いつくしむ【慈しむ/愛しむ】とは、可愛がることだが「かわいがり」といって、暴力をふるう(パワハラやいじめる)事と誤って行動する愚か者もいる。
「慈悲」とは、他者の苦しみを抜いて福楽を与える「抜苦与楽」の行動なのだ。
「功」と「徳」の心が「抜苦与楽」を発動する
自身に内在する”悪”の心を滅ぼし(=「功」)”善”の心を生じさせる事(=「徳」)が出来なければ、「抜苦与楽」の行動には繋がらない。
”他者の苦しみを抜いて福楽を与える”という超人的な行動は、「功」と「徳」の心が無ければ成し難き価値なのだ。
苦しむ子供の母親が、「自分と代わってあげたい」と望む心が「功」と「徳」である。
この母性が「慈悲」なのである。超人とは徳のある人格者なのだ。
しかし、この母性を他者に向けて発揮できる人は稀である。
それだけ「慈悲」の行動とは、難儀な事であり至難の業なのだ。
だから「慈悲」を磨くことのできる人間は、もうすでに超人なのである。