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これ欲しい?

「何が欲しい?」とか「何がしたい?」と問われると、「あれかな~」「これかな~」「それかな~」「特にないな~」など複数回答の選択肢が生まれます。

 

しかし「これ欲しい?」とか「これをする?」と問われると、「yes」「no」2つの選択肢しかないはず。

 

にもかかわらず「欲しいかどうか?」「したいかどうか?」で悩むのは何故だろう?

迷い

事業を永くやっていると、大きな決断に迫られることが度々ある。
その一つが事業縮小だ。

 

赤字続きの営業所や事業所は、閉鎖撤退しなければならない。
選択肢は「閉鎖」「継続」の二つしかない。

 

経営者としては当たり前の判断かもしれないが、これが難しい。
「閉鎖」の判断は感情論が渦巻き、「継続」の判断は困難を伴う。

大事は理を以て処す

事業縮小の判断は、企業にとって大事である。
大事は理を以て対処しなければならない。

 

では、この場合”理”とは何でしょうか?
企業の”理”とは、企業理念であり、それに基づいて事業の目的が存在する。

 

例えば企業理念が「社会への貢献」なら、「閉鎖」の判断は”社会に貢献出来ない”という理由一点のみとなる。
もし”社会に貢献している”のなら、いかなる困難があれ「継続」の判断しかない。

愚者だから経験から学ぶ

経営者に成りたての頃は、所詮”愚者”であるから経験から学ぶしかない。
判断が正しかったか、誤りであったかは、すべて結果次第である。

 

ただ、上手くいかなかった事で悔やむ必要はない。
すべては肥やしになる。

 

しかし、たまたまうまくいった事に自惚れてはいけない。
”愚者”なのだから、たまたまなのである。

 

「賢者は歴史から学ぶ」と言うが、経験もその歴史の一ページである。
”愚者”だからこそ、まずは自らの経験から学ばなければいけない。

賢者の成せる技

最初から”賢者”である人はいない。
たくさんの経験に学び”愚者”から”賢者”になるのだ。

 

”愚者”が歴史から学んでも、ろくなことは無い。
そもそもその歴史認識が真実だと、思い込んでいるからだ。

 

”賢者”は自らの豊かな経験から、真の歴史と合致させる事が出来る。
だから”愚者”の歴史認識と”賢者”の歴史認識には180度の違いが生じる。

 

人類の誕生から現在に至るまで、人間の脳はほぼ進化していない。
進化したのは知識が記録されている、外部記憶媒体だけである。

 

だから感情に左右された歴史は、今も昔も大差が無いという事だ。
何度も同じ過ちを繰り返す歴史を見れば、一目瞭然である。

 

”賢者”と成るため、歴史を学ぶ前に”道理”という知識を学ぶ必要がある。
そして実体験の世界で、”道理”を具現化できるのが”賢者の成せる技”となる。

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