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金の切れ目が縁の切れ目

金の切れ目が縁の切れ目(かねのきれめがえんのきれめ)
金のなくなったときが、付き合いの終わるときの意であって、花柳の巷(ちまた)から出た句である。
その人に金があるうちは、ちやほやとおだてあげるが、なくなったと知ると、途端に手のひらを返したように去ってしまうのが世の習いであろう。
[imidas]

昔、このことわざを身をもって経験しました。
生まれて初めて会社を興し、4年目で畳む羽目になった時の事です。

 

その時、若干35歳です。
資金繰りのため最後のあがきで、それまでお付き合いのあった方々に頭を下げて頼みましたが、すべて断られ見向きもされなくなりました。

 

「そりゃあそうだよな!」と感じるも、ことごとく皆の対応が同じだったことに人間不信となるのも当然です。
勿論、非があるのは私の方で恨みなどは全くありません。

 

しかし「人間ってこんなもんだな」と思い知らされる、人生唯一の経験となりました。
その後、東京のマンションに一人残され山口に居住の家族とは離れ離れ。

 

帰省する金もなく、警備員としてバイトすることに。
今思えば、人生最大の情けない状況でした。

 

現在も、当時お付き合いのあった方々の中で唯一一人を除き、完全に縁が切れてしまいました。

気付いたこと

その後、警備会社を転々とし、今の大切な仲間たちとの縁で、現在のIMSグループが存在しています。
IMSの創業当時は、私も含めみんな貧乏人の集まりでした。

 

ちなみにその当時の仲間たちは貧乏人でしたが、現在は裕福(笑)です。
この経験を通して気付かされたことは、

 

お金の縁で作られた友人は、お金が無くなると縁が切れるという事です。
逆に、お金の縁では無く作られた友人は仲間になるという事です。

 

若い頃には、こんな簡単な事にも気付けませんでした。
頭は賢いほうだと思うのですが、お金に対する執着心が強いあまり、人間を蔑ろにしていたのは自分だったのです。

 

お金に対する執着心が悪いのではありません。
その執着心を自分のためではなく、友人のために利用することが重要なのです。

 

これは執着心だけの事ではなく、すべての事に共通します。
つまり、お金で友人は作れますが、仲間は作れないという事です。

お金の切れ目が縁の始まり!

お金がたんまりあってからでは、この様な事に気付けないまま儚い人生を終えるでしょう。
貧乏人の時こそ、この大事な事に気付けるのです。

 

お金の切れ目で失う縁は、大事なことに気付くための始まりの縁へと繋がるのです。

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