子供のころ”鍵っ子”だった
今時”鍵っ子”と言っても、若い世代には通じないかもしれません。
”鍵っ子”というのは、両親が共働きで、学校から家に帰っても誰もいない境遇の子供の事です。
今では珍しくありませんが、50年前はゲームもスマホも無いので寂しいだけでした。
日中は友達と外で遊んでいられますが、夜は家でテレビを観る以外やる事がありません。
その上、日曜祭日すら両親がいない事が多く、何とも悲しい少年時代でした。
唯一の楽しみは、”11PM”の番組を人目をはばからず鑑賞出来た事ぐらいですかね。
パソコンもスマホも無い時代
今から半世紀以上前の話ですから、当然ながらパソコンもスマホもありません。
ただ、おもちゃや粘土、テーブルゲームなどはありました。
しかし、何事もすぐに飽きてしまうものです。
そこで自作のゲームを作り、暇を持て余していました。
凝っていたのは、自作の人生ゲームと世界一周旅行とピンボールゲームです。
ピンボールは板にくぎを打った簡単なものですが、まあまあ楽しめました。
それよりも自作の子供銀行券(現代の仮想通貨?)を使った、人生ゲームや世界一周旅行が何よりもお気に入りです。
ゲーム性は過激で、大貧民になるか大富豪になるか二つに一つです。
やっぱり、ゲームには勝ち負けが必須条件です。
平民になるようなゲームだと、面白くもなんともないですからね。
ゲームには必ずルールがある
もしルールが無いとすると、それはゲームにもなりません。
いわゆるインチキをして勝っても、楽しくありませんよね。
だからルールが必要なのですが、時にチャンスカードの様なルールを飛躍する場面も無いと楽しみは半減します。
さらに、厄災カードの様なドツボに落ちる場面も緊張感を呼びます。
順風満帆では面白くないのです。これがゲームです。
人生もゲームだ!
そう考えると、私たちが現実の世界と認識するこの世界も、実はゲームかもしれません。
家庭内であっても、組織内であっても、社会であっても、世界であっても、宇宙であっても、すべてにルールが存在します。
ここでいうルールとは、法律の事ではありません。
インチキでない規則・法則がルールなのです。
善でも悪でもなく、変更不可能な法則です。
病気になるのも健康であるのも、不幸になるのも幸せであるのも、死ぬのも生きていられるのも、すべてはゲームを面白くするためのシナリオだと考えれば極論、楽しむしかないでしょう。
だから時間制限(寿命)内で、ゲームに勝たなければなりません。
ゲームに勝つコツはルールを熟知し、チャンスカードをうまく利用することです。
ただしインチキすれば、この宇宙から即退場(ゲームオーバー)になります!
インチキとは、自分が勝つために、ほかのプレイヤーを故意に退場させる行為の事です。