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本音と建前の使い分け

よく日本人は本音と建前を使い分ける文化があるといわれ、相反し否定的に見られがちですが、果たしてそうなんでしょうか?
本音と建前について賛否両論ありますが、そもそも「本音」とか「建前」って何なんでしょうか?

Wikipediaによると、
本音=感情
建前=態度  とあります。

例えば謝罪会見のようなケースで、
本音と建前が一致しているとしても、感情のままに態度を表すことで余計な批判を受けたり、反対に好感度が増すなどの事象が起きます。
一方本音と建前が一致していないとしても、態度や発言の良し悪しによって余計な批判を受けたり、反対に好感度が増すなどの事象が起きます。

 

つまり本音はどうあれ、人は態度や発言などの建前によって評価したがったり、されたりします。
人は自分勝手に他人の本心が「きっとこうである」と、決めつけている訳です。

 

建前は人間の目や耳で確認することができますが、本音は心理学の博士でもないと見抜くことはできません。
なのに他人の本音を勝手に決めつける行為は思い上がりも甚だしいのではないでしょうか。
本当は他人の本音を見抜けないから、建前だけで人を判断しようとする行為は愚かとしか言いようがありません。

 

では本音と建前は一致しているほうがよいのでしょうか?
それとも一致していないほうがよいのでしょうか?

 

「本音≠建前」の場合、本心とは異なる態度や発言をする行為は、他人を騙す行為です。
「本音=建前」ならば正直ではありますが、感情のままに行動すると社会生活上の不都合が生じます。
他人を騙す行為もよくありませんが、正直だけでもバカを見ます。

 

ならばいったいどうすればよいのでしょう?
一般的に感情は利己的であり、態度は利他的になる。だから一般的には「本音≠建前」になってしまう。

×利己的本音≠利他的建前・・・他人を騙す。

×利己的本音=利己的建前・・・自分がバカを見る
×利他的本音≠利己的建前・・・他人を騙す上に自分もバカを見る。
〇利他的本音=利他的建前・・・正直でありバカも見ない。


利他的建前は努力なしに出来るので、

 

答えは利己的本音⇒利他的本音に変更することにある。
言い換えれば、自分中心の感情を捨て他者に利益を与える感情を本音とすればよいのだ
これが出来れば、謝罪会見になるはずもなく、他人の評価も気にする必要はない。
日本の文化には元々このような本音と建前の使い方が脈々と受け継がれているのではないでしょうか。

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