人の振舞い
例えばテレビに映像が映る原理を理解して観ている人は、どのくらいいるのでしょうか?
スマートフォンやパソコンもそうですが、動作原理を知らずとも使いこなせる人はたくさんいます。
地球が自転していることは誰もが知っていることですが、何故自転しているのか知らずとも誰もが地球上で生きています。
また体内の臓器が機能している原理を知らずとも、生活に支障はありません。
科学の世界は、その「何故?」について古くから研究・証明されてきましたが、量子力学を理解してる人は学者であっても皆無です。
でも量子力学があるから、今のテレビやスマートフォンやパソコンが動いています。
不思議ですね。誰も理解していないのに学問があり、その振る舞いを証明しているなんて。しかもその学問を利用して、製品が作られているなんて。
心理学という学問もありますが、その心理がどこから湧いてくるのか理解されているのでしょうか?原子の周りで電子が回っている原理を説明することすらできないのに。
実のところ私たちは、なにも理解していないのではないでしょうか?
ある現象について説明しているに過ぎないのではないでしょうか。
ただ理解していなくても、利用したり応用できるのが人間の能力と言えます。
正しい情報なのか誤った情報なのかも、判断するのは人間です。
だからAIや機械が正誤を判断するのは、それを作った人の個性によって偏ります。
例えばカーナビの案内通りに運転したくない時もありますよね。
つまり人は他人の情報や知識を信じたり疑ったりして、その人が形成されていきます。
何もかも信じている人も、何もかも疑っている人はいません。
何を信じるか、何を疑うかは人の自由です。
しかし何を信じて良いのか、何を疑うべきなのか、かわからなくなってしまう人は”不幸”と言わざるを得ません。
他人の情報や知識を正しいと思えば、自ら検証あるいは経験し、振舞えばいいのです。
その結果から正誤を判断することで、一切の迷いは無くなり、確信となるでしょう。
だから自ら検証あるいは経験し、振舞えない情報や知識は正誤を判断できないのだから、「あいまい」で十分です。
すべては行動あるのみです。