11月3日アメリカ合衆国大統領選挙
2020年11月3日火曜日(日本時間の4日14時で終了)はアメリカ合衆国大統領選挙です。
勝敗の行方
私は評論家でも米国民でもない日本人なので、どちらが勝つのかは米国民が決める事だと考えます。
昨日の大阪都構想住民投票についても、大阪の皆さんが決める事だと考えます。
いつも不思議に感じるのですが、普通の人は当事者でもないのに何を盛り上がっているのでしょうか。
競技の世界も同様で、自分が競技をしているわけでもなく、評論家でも当事者でも関係者でもないのに興奮する原因はどこにあるのでしょう?
また競技者が「皆さんの応援をお願いします!」というような発言をされますが、全く理解できません。
関係ない人が応援すると勝てるのでしょうか?(もしかしたらあるのかもしれませんが)
応援する人と応援されたい人の本音
応援する人の本音
①気持ちがいい
②すっきりする
③うれしい
④楽しい
⑤高揚できる
など自分の気分が良くなりたいからです。しかし負けると不愉快になり悲しくなります。
応援しない相手が勝った場合にはどのように感じるのでしょうか?
応援されたい人の本音
①勇気が湧く
②やる気になる
③うれしい
④有名になれる
⑤スポンサーがついて金が入る
など結局自分が気持ち良くなりたいからです。しかし負けると落ち込み悲しくなります。
応援されないのに勝った場合はどのように感じるのでしょうか?
何のための「頑張れ!」なのか
頑張れ!と応援すると勝てるのでしょうか?負けろ!とけなさすと負けるのでしょうか?
頑張れ!と応援されると勝てるのでしょうか?負けろ!とけなされると負けるのでしょうか?
まあどちらも気分が良いか悪いかぐらいの違いで、直接の勝敗に関係なさそうですね。
私の場合だと、負けろ!とけなされると頭にきて「絶対勝ってやる!」となります。
たとえ負けても「次は必ず勝ってやる!」となります。勝つまでやめません。
しかし頑張れ!と応援されていたのに負けると、「もうやめたい」となりませんか?
時に、頑張れ!を必要としない人も居るという事です。
少なくとも私には全く必要ありません。かえって頑張れ!と言われるとやる気が無くなります。
「頑張れ!」ではなく「出来る!」
元々出来る人は、どうすれば出来るのかわかっているのだから、頑張れ!と言われるよりも出来る!と言われたほうが、「よっしゃ!頑張るぞ!」となります。
自信が無い人は頑張れ!と言われたいのかもしれませんが、無理!と言われるよりも出来る!と言われたほうが良いでしょう。
「頑張れ!」は所詮、互いの気分が良いだけですが、「出来る!」は気分の良さではなく、人の可能性に対する利他の精神に基づいています。
日本人がアメリカ合衆国大統領選挙の候補者に「出来る!」という気持ちにはならないわけですから、応援の必要は無いという事です。