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素朴な疑問

自分が不幸だと思っているのに、他人を幸せに出来るのだろうか?
自分が貧乏なのに、他人を金持ちに出来るのだろうか?

 

自分に学が無いのに、他人を導けるのだろうか?
自分が弱いのに、他人を強く出来るのだろうか?

 

成功した事が無い自分が、他人を成功させられるのだろうか?
自分が苦しんでいるのに、他人を楽しますことが出来るのだろうか?

 

・・・素直にそうだと思えない。

すべて逆に考えてみる

他人を幸せにすれば、自分が幸せになるのだろうか?
他人を金持ちにすれば、自分が金持ちにのだろうか?

 

他人を導けば、自分に学が備わるのだろうか?
他人を強くすれば、自分が強くなるのだろうか?

 

他人を成功させれば、自分も成功するのだろうか?
他人を楽しませれば、自分も楽しくなるのだろうか?

 

・・・そんな気がする。

どこに問題があるのか?

素朴な疑問を逆に考えると、そんな気がするのは何故なのか?
素朴な疑問は倫理的に崇高(理想)だが、実例を聞いた事が無い。

 

しかし逆に考えると道理的に正しく、理解しやすい。
けれども、すべては「~すれば」=「~出来れば」の事である。

 

そう考えると理解はできるが、実行するのは難しい。
つまりいづれも、実践し難い。

実践的に考えるとこうなる

自分が幸せになるために、他人を幸せにする。
自分が金持ちになるために、他人を金持ちにする。

 

自分に学を備えるために、他人を導く。
自分が強くなるために、他人を強くする。

 

自分が成功するために、他人を成功させる。
自分が楽しむために、他人を楽しませる。

 

「~のために」があるからこそ、実践できる。

さらに高みを目指すとこうなる

自分も他人も同時に幸せになる。
自分も他人も同時に金持ちになる。

 

自分も他人も同時に学を備える。
自分も他人も同時に強くなる。

 

自分も他人も同時に成功する。
自分も他人も同時に楽しむ。

 

時を同じくしなければ、すべては机上の空論になる。
すべては繋がっており、それが宇宙の法則なのだ。

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