父性原理/母性原理
父性原理とは、現実的、客観的なルールを提示し、子どもの自立を促進させる機能のこと。子どもには“厳しさ”をもって、物事にチャレンジさせるよう働く。
一方、母性原理とは、無条件に温かく受け入れることで、子どもの精神的安定の基盤となる機能のこと。“やさしさ”や“温かさ”をもって、子どもとの愛着関係を形成する。子育てや教育においては両者の共同作業が必要である。
父性原理は男性固有のものではなく、母性原理は女性固有のものではない。
[imidas]
なぜ両者の共同作業が必要なのか?
ここで言う”両者”とは父性・母性原理の事であって、男性・女性と言う意味でも複数人と言う意味でもない。
一人の中に父性・母性原理があり、どちらかに偏っているという事に過ぎない。
これを前提に、どうして教育において父性と母性の共同作業が必要なのだろうか?
仮に父性原理だけで教育したらどうなるだろうか?
すぐにわかるとおり、”厳しさ”だけでは脱落者が出る。
まさに百獣の王である「獅子の子落とし」のことわざ通りになる。
「獅子の子落とし」とは、自分の子に苦しい思いをさせて力量を試し、這い上がってきた者だけをりっぱに育てるという意味。
だから無条件に温かく受け入れることで、子どもの精神的安定の基盤となる機能である母性原理が必要なのだ。
鬼子母神の母性原理
しかし母性原理だけで教育するとどうなるのだろうか?
愛着関係だけでは、いつまでも自立できず、人類は滅亡するだろう。
さらにもっと厄介な事がある。
それは鬼子母神を知れば理解できる。
鬼子母神とは夜叉毘沙門天の部下、武将八大夜叉大将の妻で、500人の子の母であったが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていた。
後に釈迦の知恵により改心し、仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。[Wikipedia]
つまり母性原理が行き過ぎると、他人の苦しみや悲しみを理解できなくなる。
だから現実的、客観的なルールを守らせる父性原理が必要になるのだ。
人財育成に必要な原理
このように教育には、父性・母性両者の原理が必須になるのだ。
人財育成もまた然りである。
しかし父性・母性をバランスよく兼ね備える教育者など皆無に等しい。
従って、複数の教育者でバランスを取り合って教育に挑まなければならないのだ。
人財育成に最も必要な原理は、父性・母性のバランスにこそある。