住めば都
大阪府豊中市服部西町5丁目4-1。
小学1年~中学1年まで在住の住所である。
貧乏人が住む、平屋の市営住宅だった。
間取りは2Kで、風呂も付いてない。
大阪国際空港(別名・伊丹空港)の着陸滑走路軌道上に位置し、昼夜にジェット機の騒音で窓ガラスが震え、テレビの音も会話もかき消される環境であった。
こんなところに4人家族で暮らしていた。
今から思えば、よくこんなところに住んでいたと感じるが、まさに住めば都です。
我が家初のペット
犬や猫は飼えないので、手乗り文鳥が我が家初のペットだった。
まだ流動食しか食べられない状態から育てていたので思い入れも深い。
水換え、餌やり、ふんの処理と、すべてが初めての経験だった。
手の上に乗ったり、人懐っこい文鳥は可愛くて仕方がなかった。
毎年夏休みには弟と2人だけで山口県の祖父母との所へ帰省していたが、この時は文鳥の事が心配でならなかった。
その間は母に面倒を見てもらっていたのである。
人生初の衝撃
夏休みも終盤ほどなく大阪に戻ってくると、なんと!
文鳥が死んでいた。
なんで?なんで?なんでやねーん?
その日は悲しみに明け暮れ翌日、庭に埋葬することにした。
それから毎日のように墓を掘り起こし、文鳥の死骸を見て泣いていた。
1週間ぐらいたったか?いつものように墓を掘り起こすと。
「死骸が無い?」「どうして?」
「母ちゃん!文鳥がおらん?」
すると母親から帰ってきた言葉は、「ゴミに捨てたわ!」
余りにも衝撃的な出来事であった。
もう、言葉もない。
現実に引き戻された私は、ここから性格が変わってしまったのかもしれない。
この出来事以降あらゆる死に直面してきたが、もう涙が出ることは無かった。