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生きている人間を象徴としている国

日本ではなぜ、権力者や貴族が天皇にならないのだろう?
日本史には、幾人もの権力者が出現しているが、その地位を奪ったものは誰一人いない。

 

日本史に関しては詳しくないので、だれがどうだったのかは置いといて、純粋に不思議な事と思える。

 

最高権力を手に入れたものが、その地位に魅力を感じなかったはずがない。
もしその地位を奪おうと思えば、容易い事だったはずだ。

 

不思議な国「日本」、非常に意味深い。

組織における象徴の存在

宗教法人には、象徴とされる人が存在しているが、企業にはいるのだろうか?
東芝に入社した40年前、笑われるかもしれないが社長の名前は知らなかった。

 

お会いする事も無いので、特に名を知る必要も感じたことは無い。
しかし誰もが口をそろえて尊敬する人は”土光 敏夫”という人物だった。

 

「メザシの土光」「役員は社員の倍は働きなさい」で知られる人物だ。
私が入社した時には、東芝の社長→会長を退任し今の経団連第4代会長だった。

 

社内の同僚や上司までもが口をそろえる東芝の象徴、”土光 敏夫”
たぶんその頃の東芝が、一番光っていた時代だったと思う。

企業にも象徴の存在が必要

企業にも象徴と呼ばれる存在が必要だと思う。
なぜなら、企業のトップに上り詰めても傲り高ぶることは無い。

 

象徴を持たない企業の寿命は、風前の灯火である。
しかし人間が象徴である限り、いつしか存在は消えていく。

 

代々続く日本の象徴という仕組みは、誰が考えたのかは知らないが驚くべき発明である。
企業にも、このような仕組みが必要だ。

社長になっても象徴にはなれない

東芝の社員の誰もが認める”土光 敏夫”という人物は、なぜ象徴になったのか?
言うまでもなく経営危機に陥った東芝を救ったからである。

 

それと事実かどうかは疑問だが”いつもメザシを食っている”という人格である。
つまり”レジェンド”であるという事だ。

 

大企業の社長になっても、このような伝説が無ければ象徴にはなれない。
だから伝説をつくったものこそが、企業の象徴となる。

 

創業者はそれ自体が伝説となるが、次の代に伝説が無ければいずれ息絶える。

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