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追悼

2020年9月22日
伊東眞恵殿(株式会社IMS前会長)が、享年69歳にて永眠されました。
ご冥福をお祈りするとともに、謹んでお知らせ申し上げます。

師匠との出会い

伊東前会長は、私にとって師匠であり恩師でありました。
今から23年前になりますが、私がビジネスで失敗し完全に落ちぶれ、やむなく警備員の仕事をしていた頃の話です。

 

現場警備員の仕事から間もなく、城東営業所の事務職に着任したころ、各営業所の所長会議が城東営業所内でありました。
その頃一兵卒の立場でありましたので、各所長にお茶汲み業をしていた時です。

 

「おい!新任管制!名前は?」(伊東さんは世田谷営業所の格上所長)
「はい、篠田です」
「なんだその髪は?」「すぐに切って来い!」(肩にかかるほどのボサボサ頭)
「え?いいんですか?」(城東営業所の所長は怪訝な顔)
「すぐに行ってきます!」(ありがたい)

 

これが伊東眞恵さんとのファーストコンタクトです。当時の会社は完全ブラック企業でしたので、2日に一回の宿直業務をこなし、休みなく連続で日勤業務をこなしていたのです。
ですので散髪に行きたくとも、業務中に行くしかないのですが、私の所属長であった城東営業所の所長は、それを認めてくれませんでした。

 

それが伊東さんの鶴の一声で、今すぐに散髪に行けるようになったわけです。
誠にありがたいわけですが、次にいつ行けるかわからないので、とりあえず坊主にして営業所に戻りました。

 

伊東さんは「うん。よし」の一言。
後にご本人から聞いた話ですが、「まさか坊主にしてくるとは驚いた」「普通は反発するところを、素直で潔すぎる」と思ったそうです。
ただお互いの利害が一致しただけの事なのですが。

師匠と決めた日

当時の私は、ビジネスの失敗で落ちぶれ、自身の人生を見直していた頃で、根本的な原因が”自身の師匠を持たない”ことにあると気付き始めていたのです。
それが目の前に居られるではないですか!すぐさま伊東さんを我が師匠と勝手に決めたのです。(ご本人の了解もなく)

 

最大の決め手は、私に無いものをすべて持っている。という事でした。
1.人に慕われる。2.気前が良い。3.見栄っ張り。4.遊びが好き。5.男前。・・・・・・(ついでに二人の誕生日が一回り違いの同月同日だったという運命)

 

自分に無い能力を得るには、この人を師匠とする以外に考えられませんでした。
この日以来、あらゆる場面に同席させていただき、遊びでも学ばせて頂きました。

それから10年後

いよいよ機が熟し、株式会社IMSを共同で創業することになります。
創業者であった伊東さんには”会長”になって頂き、私は代表として、よく二人で妄想を膨らませたものでした。その時の妄想を”絵”に書いてくれたのがこれ「創業からの妄想」です。

 

この師匠の妄想も、私には想像を超えるものでした。しかし「いつの日か必ず実現しましょう!」と二人で心に固く誓ったのです。
後は「どういう手法で実現するのか?」と考え実行に移すのが、私に課せられた使命でありました。

さらに13年~そして今

いまだ妄想の半分ぐらいしか実現出来ていません。
伊東さん亡き後、この妄想を実現することを”遺言”であると決意しています。

 

弟子である私の使命は、師匠の果たせなかった思いを実現することであります。
師匠!近い将来、またお会いしましょう!
それまでに手法はともかく、師匠の喜ぶ顔を思い浮かべ、その心を胸に刻み付け”不惜身命”で行動して参ります。

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